「怒りのマネジメント」

人並に悩んだり、イライラしたりする事がありますが、気持ちの切替えに時間がかかる点を改善したくて、時々心理学や思考法に関する本を読みます。
先日、“「怒り」のマネジメント術”(安藤俊介著)という本を読んだのですが、いくつかはっとする気づきがあって興味深かったのでご紹介します。

怒りのメカニズムは、
①出来事との遭遇
②出来事の意味づけ
③怒りの感情の発生 となっているのだそうです。
①→③ではなく、出来事に対して怒りの感情が湧いてくるかは②のステップが介在します。
その人が出来事に対して「許せない・間違っている」と意味づけた時が③につながります。

“同じ出来事でも怒る人もいるし怒らない人もいる。出来事は出来事でしかない。”冷静な時に聞けば、それはそうだ、という感覚ですが、そうでない時は、誰もが当然腹が立つ(私は正しい)というような感じで怒っていないでしょうか?しかしその「許せない・間違っている」という感覚は人によって千差万別です。
“怒ることによって何か得をすると思っていませんか?怒ると自分の思い通りになると思っていませんか?”との問いかけには、そういう時もあるかも…、と痛い所を突かれた感じです。

本の中では、対症療法的・体質改善的アドバイス両面が書いてあり、なるほどと思うことが多かったです。
例えば、即効性のあるものとして、怒りにレベルをつけるという方法があります。10段階として、“今の怒りは4だな、5だな・・・”という具合です。目の前の怒りから意識をそらすという点で有効です。
体質改善的なものとしては、自分の怒りを記録する事、があります。自分の怒りやすいパターンや地雷の様なものを記録から分析し、問題となるものを避ける、避けられないなら心構えをするといった行動につなげます。

怒ってはいけませんというのではなく、目標はあくまで怒りの“マネジメント”とし、“必要のない事では怒らない、怒るとしても表現や場所を選ぶ、怒りに振り回されない対処をする事が自分と周りの幸せのために大事”と伝えています。
怒りの感情に縁のない方はなかなかいらっしゃらないと思うので…、皆さんもご一読いかがですか?

「所得税確定申告に向けて」

 毎年弊所にて所得税の確定申告をしている方については、すでにご準備の連絡をさせていただいている頃だと思いますが、今年もまた確定申告の時期がやってきました。
 ご自身で申告されている方も含め、国税庁発表の“誤りが多く見受けられる事例”をもとに、注意事項をお知らせいたします。

①一時所得の申告もれ
 生命保険会社などから、満期金や一時金を受け取られた場合は、その収入が一時所得として申告する必要がないか、確認が必要です。
 下記の算式で計算した金額がプラスになる場合は申告が必要です。
(満期保険金-これまでの支払保険料総額-50万円)×1/2
 ※ただし、その金額が20万円以下で一定の場合は申告不要に該当する場合もあります。
②医療費控除の計算誤り
 健康診断費用、予防接種の費用・ビタミン剤など健康増進のための医薬品購入費用については対象外です。対象の範囲にご注意下さい。
 高額療養費、損害保険会社からの入院給付金などで補てんされる金額は、支払った医療費の額から差し引いて控除額を計算します。
③副収入の申告もれ
 インターネットによるサイドビジネスやFXなどで得た所得についても合わせて申告する必要があります。
④国外所得の申告もれ
 国外で得た所得も合わせて申告する必要があります。
 海外保有資産を通じて獲得する利子、配当及び不動産所得、証券及び不動産の売却益などで、外国の税務当局に申告した所得も含みます。

 特に③④のインターネットに関わる所得や国外所得については、以前より国税庁の調査重点項目として継続的に情報収集がなされているものです。金額的に申告不要となる場合もありますが、判断に迷う場合はスタッフまたは税務署まで、まずはご相談いただければと思います。

新年の抱負

 税務の仕事に日々携わって思うことの一つに、実務は“教科書通りの明確なことばかりではない”ということがあります。

 法律という大原則がありながら、個々の事象について、解釈の余地がある部分については税理士によって様々な対応が取られます。
 そういったものの中で、実務的にまかり通っているものに慣れてしまうと、基本原則の理解を誤ってしまうことがあります。また、こういう考え方もできるのでは?という視点もにぶってしまいます。

 教科書通りにいくことばかりではなくても、原則となる法律の重要性は変わりません。
 個別案件に対応する解釈も、迅速に、論理的に対応できるよう、今年は今一度基本に立ち返って税法の理解を深めたいと思っています。

「量をこなす」

 質より量、量より質という言い回しがあります。
ところでその、質より量、という表現には、何か低レベル・低品質なものだが、量で補う、ごまかすといったマイナスのニュアンスを感じます。少なくとも私はそう感じていました。

 最近、本とインターネット記事の全く別の話からですが、同じようなことを表現する言葉に出会いました。それはいずれも、「質は量の上に成り立つ。それも圧倒的な量の上に。」ということです。
 量と質はどちらか一方、というものではなく比例するものなので、選択するものではない、と。

 例えば仕事に関して、効率良くこなそう、と考えるのは大事なことです。ただ、「それを考えることや学ぶことは悪くないが、量をこなさないとそもそも効率良くという質はついてこないのだから、お手軽に質を求めるのは間違いではないか」、という内容にすごく共感しました。

 質を最初から求めると、失敗しづらいプレッシャーがあることから、
①最初から極力完璧であると思われるものを求めて時間を費やす
②失敗→反省・試行錯誤を繰り返し、慣れるという過程が少ない
③結局大した質にたどりつけない

 というサイクルに陥りやすいとのことです。

 その本は、読書に関するもの(質のよい読書をするためには?良書に出会うためには?といった内容が書かれていました。)からであったので、それに感化されて、読書量が増えました。
 以前私は、本は最後まで読み切らないと罪悪感を感じるタイプでした。そういう本があると新しい本を買おうかという時に、まだ読み終わっていない本がある…と躊躇していました。今は読みかけになっている本があっても気にしません。読破していなくても読みたいと思った一部分にでも触れたことに重点を置いているからです。
 まずは手にとって読んでみる本を増やそう!という気持ちです。そう考え始めてから本を買うことが楽しく、数冊まとめ買いすることが増えました。

 まずは機会をたくさん作って量をこなす。読書に関しては単純に楽しくもあるのですが、仕事にも活きる考え方であり、今後の知識と経験につながるものを蓄えるべく、質の追求とは別に、量をこなす意識も忘れずにいたいと思います。

by 松浦

年齢の数え方

 小学生の時に、同級生の中で誕生日が1番早い子は4月2日生まれ、1番遅い子は翌年度の4月1日生まれ、と知って「4月1日が一番じゃないの?」と思った記憶があります。「そういうものなんだよ」と聞いてそのままだったのですが、税務の勉強をしているときにその答えを知りました。なぜだかご存知でしょうか?

 実は《年齢の数え方に関する法律》というものがあります。
それによると年齢を数えるときは、誕生日から起算して応答日(年を数えるので、月日が同じ日)の前日に満了する(よって次の年齢に達する)ことと定められています。
 ですので、4月1日生まれは3月31日をもって、また4月2日生まれは4月1日をもって歳を重ねます。日常の感覚とは違いますが、これが現在の法律上の扱いです。
 
 冒頭の話であると、就学義務を定めた法律が“満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから…就学させる義務を負う”とあるので、法律の認識で3月31日までに6歳になっている必要があり、同じ学年に翌年度の4月1日生まれの子まで入ってくるということです。

 そろそろ年末調整シーズンが視野に入ってきた頃ですが、扶養控除の判断に必要な家族の年齢の数え方もこれにならっています。年齢の判定は年末(12月31日)で行いますが、上記のことを意識して頂かなくても誕生日の記載を間違わなければ控除ミスが起きることはありません。
誕生日を間違えることはほぼないかと思いますが、他の事項を含め、書類はよく確認頂き間違いやもれがないようにして頂くことがお客様にとってベストなことです。
 石田会計では年末調整業務に備えて、書類の記載方法の説明資料を配布しておりますが、それでもわからないことがあれば、遠慮なくお尋ね頂ければと思います。

【参考】
《年齢計算に関する法律(明治35・12・22施行)》
1 年齢は出生の日よりこれを起算す
2 民法第143条の規定は年齢の計算にこれを準用す
3(省略)

《民法》第143条(暦による期間の計算)第143条 
1 週、月又は年によって期間を定めたときは、その期間は、暦に従って計算する。
2 週、月又は年の初めから期間を起算しないときは、その期間は、最後の週、月又は年においてその起算日に応当する日の前日に満了する。(以下、略)

by 松浦

習慣化にチャレンジ

 去年の今頃は記念すべき第一回目の名古屋ウィメンズマラソンに申し込みをし、フルマラソン完走を目標に頑張る宣言をしていました。完走を果たし、また次の大会にもエントリーしましたが、今度選んだのはハーフマラソンです。

 自分の限界に挑戦という意味ではフルマラソン完走による達成感をすでに味わったので、今回は違う目標を据えてみました。
 目標は運動の習慣化です。
 極端な話で恥ずかしいのですが、実は前回の大会を終えてから今日まで、忙しかったこともあってほとんど走っていません。

 ランニングほどではないですが、運動という括りでは、ストレッチや簡単な筋力トレーニングは習慣づいています。効果(体の変化)が見えやすいので継続につながり、よい循環となっているのでは?と思います。

 思い返せば、昨年練習を始めた頃は、スマートフォンのアプリを使って、日々の走行距離や速さ、累積の走行距離を確認し、その時々の成長を楽しみにこつこつ取り組めていた記憶があります。
 ところがある日バックアップの不備でアプリが消えてしまったので…、後半は当初よりは練習頻度が落ちていました。練習が軌道に乗ったと思ってアプリなしで過ごしたのですが、数字ではっきり成果・もしくは反省点が見られるアプリは自分が思っていた以上にやる気維持に貢献していたのかもしれません。

アプリを使う以外の良い方法もあるかもしれませんが、とにかく、変化がわかりやすく実感できる、もしくは数値でみることができるといった状況を最後まで用意して今回は取り組もうと考えています。
 やる気を維持し、特別な意識にならず、習慣化することによって大きな目標がなくてもその後も継続できるようにしたいと思います。

by 松浦

どこに時間を投資するか

 夏を盛り上げてくれたオリンピックや甲子園が終わってしまいました。
 メダルや優勝以前に、出場権を得るステージに辿り着くまででさえ、どれだけの努力と工夫があるのか想像もつきません。順位に関わらず、すべての出場選手に“素晴らしかったです。お疲れ様でした”と伝えたい気持ちです。

 ところで、甲子園初出場の三重県・松坂高校の監督は、進学校であるその高校を出場に導いたことで注目を浴びていました。私立の強豪校が圧倒的有利と思われる中、ユニークな指導方法により、練習時間が限られる進学校を出場に導いた実績が以前もあるとのことです。
 その指導方法の根本となる考え方は、「明らかに先を走っている強豪校に追いつき追い抜くにはどうしたらいいのか。ゴールから逆算して行動しよう。」、というものです。一見直接的な効果が分かりにくいのですが、“テニスボールをいくつも積み上げる”、“打席に入る前にバットの文字を見つめる”、ということを、集中力を磨くための練習として行わせるのだそうです。「集中力を磨く→短時間でも効率的な練習がこなせる」、という効果があり、日々長時間の練習が必要なわけではない、ということを証明しています。

 私は、壁が目の前にある時にそれに対してどう取り組むか?というと、正面突破を試みてしまう傾向があります。いわゆる頑張ればなんとかなるだろうという根性論で、甲子園を目指す球児だとしたらきっと朝から晩まで練習してしまうのだろうと思います。

 もちろん目標によって、正攻法で取り組むことが正解な場面もあるでしょうし、人によってはそういった時期が必要なこともあるかもしれません。ただ、いつまでも同じ方法ではなく、時と場合、自分の成長度合いに合わせて取り組み方を変えられるように、なるべく多くの選択肢と柔軟さを持っていたいものだと、こういった成功事例を見ると考えさせられます。

 仕事上は、お客様の依頼や期待に応えるといった面で日々ゴールがあります。時間は有限です。効率がよくなる仕組み作りや、分担作業のために資料を整える時間など、より良い成果のために、時間の投資のしどころを考えるべきだな…と思いました。

by 松浦

相手の心に届く言葉で話す

 先日、税理士会の研修に参加し、法務・税務のどちらにも精通している大学院教授の講義を聴く機会がありました。
 5時間超の長丁場でしたが、法務の視点からの話はとても興味深く、その話の中で特に私の興味をひいたのは、「相手の心に届く言葉で話す」という発言でした。

 10年ほど前の改正により、税理士補佐人制度(※)ができ、今後ますます税理士が裁判に参加する機会が増えるだろう状況になったことから、法務と税務のメンタリティ(考え方、心理的傾向)の違いについての話がありました。
(※税理士補佐人制度・・・税理士が、租税に関する事項について、補佐人として弁護士である訴訟代理人や当事者に付き添って、裁判所において出頭・陳述をすることができるようになった制度。)
 “法務を勉強し、それを基礎とする裁判官に対し、裁判で、税法の論理を前面に出して主張していくと負ける確率が高い。メンタリティの違いを意識しないと、税理士は訴訟の場でお客様の力にはなれない”とのお言葉でした。例えば、「民法はともかく税法では…」との話の進め方は、それを一生懸命勉強して今の立場がある人にとって素直に耳に入れにくい、ということだそうです。
 勝つためには法務に携わる方の考え方を理解し、同じ事実を述べるにしても、裁判官の知識背景の論理の下、自分の主張である結論にたどり着いてもらいやすい論法を繰り広げる必要がある、と。そのことを「相手の心に届く言葉で話す」、と表現されていたのです。

 日本語が通じる相手であると忘れがちかもしれませんが、他人が同じ基礎知識や常識(と言われるもの)を持つかどうかは、期待できないことの方が多いと思います。
 仕事中、税務や会計に関してお客様に説明をする機会は数多くあります。しかし数多くあるものの、実はいつも説明しながら難しさを感じ、試行錯誤しています。その業界の専門用語になじみの少ない人に対して、正確だからと専門用語を使うことばかりが適当ではなく、かといって平易な言葉を使って説明すると、まわりくどくかえって話がわかりにくい感じになってしまったり…、と。

 優秀な方は、説明が上手です。要点抑える事や簡略化が上手だからだと思います。それに加えて、相手の立場や考え方、理解度に合わせ、「相手の心に届く言葉で話す」ということが意識されているのではないかと今回の話を聞いた後に思いました。同じ事実を説明するにしても、アプローチの仕方で腹に落ちる・落ちないの違いが、結果的に納得の度合いや結論さえ左右することになる、ということだと思います。
 今までもお客様ごとに説明の仕方などを考えて対応してきたつもりではあるのですが、そのことにしっくりくる言葉を頂けたおかげでとても強く心に残りました。今後も忘れずに仕事に活かしていきたいと思います。

by 松浦

体が資本

 今年は少し長びいた繁忙期がつい最近落ち着きました。
 繁忙期を乗り越えるたびに思うのが、こうやって頑張れるのも健康であってこそ、やはり体が資本である、ということです。

 石田会計では例年5月から6月頃に健康診断を受けることになっています。身体測定と血液検査等の標準的なもの+αの検診に加え、さらに35歳からはバリウムつきのフルコース、女性は二年ごとに婦人科検診つき、と手厚い健康診断を受けさせてもらっています。
 最近はオプションで追加できる検査も色々あって面白く、今回受けさせてもらった骨密度の検査では同世代平均以上、血管年齢の測定では実年齢とかけ離れた21歳!という結果をたたき出しました(笑)(機械の性能上1番若い年齢として数値が出るのは20歳だということでした。)
 ともかく、今回もありがたいことに特に問題なしの好結果で一安心でした。

 健康なことは自慢のできる私の健康管理の基本の一つは、「常に早めの対処」です。平素健康なため、ちょっと疲れとは違う嫌な感じがするな…という時など、体調の変化がよくわかります。その際には、早く帰ってたっぷり睡眠をとる、早めに薬を飲む、など早めに体を労わってあげるだけで、風邪をひくのもせいぜい5年に1回程度に予防できています。
  
 健康診断があったおかげで、自分の体調改善に早めに対処できた話も周りで聞きます。
 今後も福利厚生の充実具合に感謝しながら検診結果を活用し、良いことはそのままに、改善すべきことがあれば改善し、自分の体のケアに気を配りながら元気で仕事に取り組んでいきたいと思います!

by 松浦

ご存知ですか?“D言葉”

最近知ったのですが、“D言葉”とは、頭文字が「だ行」で始まるネガティブな言葉のことだそうです。
 各々の職場や特定の人に対し、これを言ってはいけない、と認識しているものがあるのではないかと思うのですが、その中でビジネスシーンやプライベートのいずれにも共通のNGワードと言えるのがそのD言葉ということです。

 例えば…、「だって」・「だけど」・「でも」・「ですから」・「どうせ」、という言葉です。
 なるほど、その後には言い訳や相手を否定する言葉が浮かびませんか?
 これらは相手を嫌な気分にさせるだけでなく、自分の評価も下げてしまいそうです。

 心配になって自分の言動を省みてみたところ、私が発しがちなD言葉は、家族から頼みごとをされた時の「(手伝ってあげたいけど)でも忙しい」という言葉だと思いました。
 職場では、このような直接的な断りの言葉はさすがに使いませんが、家族だからといって良いわけではありませんね。

 どうもうっかり出てしまいそうな言葉ですが、そんな時の対策は、「でも」と言い訳や否定から入らず、「そうですね、でも私は○○だと思うのですが、どうでしょうか?」という感じで、「Yes+D言葉+疑問・提案」という形で言葉を伝えるというのがよいそうです。
 また、D言葉は「使わなくても会話が成り立つ」と認識するということが大事です。

 日本には、「言霊(ことだま)」という言葉が昔からあるように、言葉が自分の思考や行動に与える影響は侮れないようです。言い訳や否定の言葉に囲まれるよりは、前向きな発言をする人になりたいですし、そういう人の近くにいたいと思う気がします。
 自分も周りの人にも気持ちよく過ごしてもらうために、悪気がなくてもうっかり“D言葉”を使わないよう、心がけたいと思いました。

by 松浦