モノの価値

私には古着好きの友人がいて、ときどき買い物に付き合うのですが、やはりどうしてもその価値が理解できず、モノの価値というのは人それぞれ違うものだなと、その度ごとに実感します。私にとっては何の魅力(価値)がないものでも、その友人にとっては大変魅力的で(価値があり)、お金を支払ってでも手に入れたいものなのです。

ところで、みなさんは“TAP PROJECT“という取り組みをご存知ですか。

先日、食事をするためにお店に入ったところ、「ご賛同いただけたらお願いします。」という言葉とともに小さな冊子を手渡されました。そして、その表紙には「あなたが飲むコップ1杯の水が、誰かの命を守るチカラになる。」と書かれていました。よくよく中を読んでみると、「この地球に生まれた5歳に満たない子どもたちの中で、5人に1人は、汚れた水しか飲むことができない環境で育っています。日本では、蛇口をひねれば、当たり前のように流れ出てくる『きれいな水』。わたしたちが毎日飲んでいるコップ1杯の水で、世界の子どもたちを1人でも多く守れたら。」という趣旨のことが書いてあり、要するに、食事の際に提供される水に対して寄付をお願いする活動らしいのです。

100円あれば1人の子どもが40日間、きれいな水を飲むことができるとあったので、私はお会計の際に100円余分に支払うことにしました。
大した金額の寄付はできませんが、たった100円でもなんだか人助けができたような気持ちになり、満足感に浸ることができました。現在の私にとっての100円の価値よりも、1人の子どもの40日間の水のほうが価値があるのだと、具体的な価値が分かって納得できたので、すんなりと寄付することができました。

モノの価値は、その人がどれだけ必要と感じているかによって大きく左右されます。必要と感じていない場合には、むしろ無駄になってしまうこともあります。
寄付といった目に見えない相手に対するものだけでなく、自分の周囲で・・・日頃の生活の中で・・・最適なときに最適なことを行い、十分な価値を発揮できるよう心がけたいと思いました。

by 板谷

「目標設定の難しさ」

 私事ですが、石田会計に入所してようやく一年が過ぎました。同僚にも恵まれ、良い環境で働かせてもらっていると感謝しています。

 日本人の風習として、新年に一年の目標や計画をたてたり、年度初めに気持ちも新たに同様のことをする方は多いと思いますが、私はその他にも、誕生日や職場で一年経った、などという区切りにもこれまでを振り返ってみることが多いです。
 但し、達成した・しなかったと振り返って思うだけでなく、良いことは継続し、反省すべきところは改善していかなければ意味がないのですが、残念ながらここ数年はそれが上手くできていない気がします。

 試験勉強だけに集中すれば良かった学生時代は、校内順位や試験の合否などによって努力の結果が一目瞭然で、そのため次の目標がたてやすかったのですが、社会人となった今は、公私の事柄を問わず、目標を設定する際には難しさを感じます。“もっと○○の知識を深めよう”、“今年は△△に挑戦しよう”など、どうかすると目標の内容が漠然となりがちだからです。

 趣味などプライベートに関することは気楽な目標設定でもいいかもしれません。しかし、結果を望みたい場合には、目に見えて検証しやすい数字を使って目標を設定することが今更ながら重要に思えてきました。振り返っての見直しができないと、そもそも目標をたてること自体が無駄になりかねません。
 人それぞれではありますが、個人的には短いスパンでゴール設定をし、時々は達成感を味わって自分をおだてていかないと、うまく努力が継続できないなと思うところもあります。
 今回は少し時間をかけて、新たな一年の目標設定を考えたいと思っています。

by 松浦