「60歳の差があっても」

 私には、91歳の非常に頑固な祖母がいます。
 背中は曲がり足腰も弱く、何かに捕まらないと一人で立ち上がることも歩くことも出来ません。
 しかしながら頭は冴えわたっているのか、次から次へと言葉が出てくる点は昔から全く変わりません。
 それも多くはトゲのある言葉です。

「コーヒーが飲みたい」
というので出してみると、お礼を言われるどころか
「なんや、コーヒーとはこれか。紅茶のがええな。」
という答えが返ってきますし、紅茶を出しても
「熱くて飲めん」もしくは「ぬるい、もう少し温めて」となります。
 そんな性格もあってか、積極的に関わりに行く人はそれ程多くありません。

 その中でも、私は鈍感なのか、冗談めかして「それなら自分で入れる?笑」などと言い返すキャラクターだからなのか、祖母のトゲのある言葉にそれ程抵抗がありません。
 そのため、盆や正月に親戚が集まるときの、立ち上がる際、歩く際の支えとなったり、何度聞いたか分からない戦時中の話を聞いたりするのは、自然と私の役割になっています。

 今は一人で生活できないこともあり、老人ホームでのケアを受けているのですが、先日親戚が自宅に集まった帰りに老人ホームへ送っていくと、「楽しかったなぁ、帰りたくないなぁ」とつぶやいていました。
 やはりトゲのある言葉も、人と関わっていたいという寂しさから出るものなのだと理解しました。
 
 人間関係には当然得手不得手はあると思いますが、本質的に相手を傷つけたい人はいないと思います。
 苦手意識があっても、相手との違いを受け入れる寛容さや、その発する言葉の意図を捕らえようとすれば、意外に相手を理解し、いい関係を築くことは可能なのかもしれません。